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人生朝露

人生朝露

聖徳太子と荘子。

荘子です。
『荘子』という書物が日本にやってきたのは、ほぼ、儒教や仏教と同じ時期だろうと思われます。日本の国の体裁が整う前後にはすでにあったようです。『南華真経』と呼ばれるようになるのが玄宗の時代なので、日本人にとっての『はじめての荘子』がどのような形式をしていたのかは興味があります。

例えば、聖徳太子の『十七条憲法』にこうあります。
聖徳太子 。
『十曰。絶忿棄瞋、人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理(言+巨)能可定。相共賢愚。如尤端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。』
≪十にいわく。心の中の怒りを断ち、表情にも怒りを表さないように。他人と自分が違っていても怒ってはならない。人の数だけの違う考えがあり、他人は他人でこうだと思っていることがある。彼は自分ではない。自分もまた彼ではない。自分は必ず聖人で、相手が必ず愚鈍だというわけではない。皆共に凡人である。そもそも、是非などというものの判断を誰が出来るのだろう。だれでも皆、賢くもあり愚かでもある。ちょうど耳輪(ピアス)に端っこがないようなものだ。だからこそ、相手が怒っていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかと顧みなさい。自分一人はこうだと思っていたとしても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。(第十条)≫

・・・いかにも日本人的なお言葉なんですが、

ここに、

「彼是則我非。我是則彼非。」とあり、その上で「是非之理(言+巨)能可定。」とあるでしょ?

これは、荘子の斉物論篇にあるんです。

Zhuangzi
『物無非彼、物無非是。自彼則不見、自知則知之。故曰、彼出於是、是亦因彼、彼是方生之説也。』(『荘子』斉物論 第二)
→物に「彼(あれ)」でないものはなく、物が「是(これ)」でないものもない。「彼(あれ)」であるとすると見えないものも「是(これ→自分)」であるとすると見えてくる。だから恵子は言った。『「彼(あれ)」という概念は「是(これ)」という概念から生じて「是(これ)」という概念も「彼(あれ)」という概念から生じ、(すなわち「あれ」と「これ」、「我」と「彼」という概念は相対化された中で)双方が並存している、と。

・・・簡単にいうと、「主体」についての、荘子の思想の入り口に当たる部分です。「彼」と「私」、彼岸と此岸のような解釈の方がすんなりくるかも知れません。

Zhuangzi
『是亦彼也、彼亦是也、彼亦一是非、此亦一是非、果且有彼是乎哉、果且無彼是乎哉、彼是莫得其偶、謂之道枢、枢始得其環中、以応無窮、是亦一無窮、非亦一無窮也」(『荘子』斉物論 第二)
→彼もまた是であり、是もまた彼である。彼に一是非、是に一是非ある。果たして、是と彼に絶対的な区別など可能なのであろうか?是と彼を遇することのできない極限ものを「道枢」という(枢とは、扉の回転の真ん中にある一本の柱のこと)。その環の中にあって、初めて無限の世界に応じることができる。是もまた一無窮、非もまた一無窮。』

Zhuangzi
『既使我與若弁矣、若勝我、我不若勝、若果是也?我果非也邪?我勝若、若不吾勝、我果是也?而果非也邪?其或是也、其或非也邪?其倶是也,其倶非也邪?我與若不能相知也、則人固受其(黒+甚)闇。吾誰使正之?』(『荘子』斉物論 第二)
→私とあなたが議論するとして、あなたが勝ったならば、私が「非」であなたが「是」なのか?私が勝ったならば、私が「是」であなたが「非」なのか?どこが「是」で、どこが「非」なのか?お互いに正しいとか、お互いに間違っているということは無いのか?私はあなたではないので、私はあなたの全てを理解することはできない。つまり、お互いがお互いを理解できない、真っ暗闇の部分がある。それなのに、誰に、どちらの主張が正しいと判断させるのだ?

これに、外篇を加えると、
Zhuangzi
『世俗之人、皆喜人之同乎己、而惡人之異於己也。同於己而欲之、異於己而不欲者、以出乎衆為心也。』(『荘子』在宥 第十一)
→世俗の人は皆、自分と同じ意見を喜び、異なる意見を悪む。同意を欲し、異議を欲しないのは、大衆の中にいながら、大衆を出し抜こうというという心があるためである。

・・・ほぼ確実に『荘子』を読んだ上で『十七条憲法』が書かれていることが分かります。話の内容がかなりカブっています。荘子は「道枢」といい、聖徳太子は「耳輪」というんですな。一般的に「十七条憲法」というのは、仏教と儒教の考えに聖徳太子のアレンジが入ったと言いますが、ここに老子や荘子の思想が入り込んでいる、と言って良いのではないんでしょうかね。

参照:十七条の憲法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%9D%A1%E6%86%B2%E6%B3%95

中国哲学書電子化計画《莊子》
http://ctext.org/zhuangzi/zh

ちょっとここで面白いのは、儒家との関係です。十七条憲法で有名な一条の「和を以って貴しとなす」というのは、「有子曰、礼之用和為貴」『論語(学而篇)』にある有子の「礼の用は和を以って貴しとなす」という言葉からでよね?(ま、今の日本人にとっては、孟子の「民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を軽しと為す」(盡心章句下)の方が大事かな。日本は民主主義の国らしいので。)

孔子。
本来儒者のあり方の理想は、孔子のおっしゃるように「君子は和して同せず、小人は同じて和せず(『論語』子路篇)」なわけです。

君子は調和を図ったり、妥協する部分はあっても、相手の意見を鵜呑みにはしない。自分の主義主張を持たず、人の言動につられてしまうような「付和雷同」をするのは小人のやることだと孔子はおっしゃるわけです。儒教的な価値観では、自分の信念を捨てて周囲に「付和雷同」することは否定しているのですよ。でも、今の日本人も付和雷同しちゃいますね。「空気を読め」と今でも言います。ちなみに、秀吉の朝鮮出兵(朝鮮の側にとっては壬申倭乱)の時に、日本に拉致された李氏朝鮮の儒者・ 姜コウ (あちらではカンハン)という人が、日本人の特性として『看羊録』にこう記しています。

≪大体その風俗というのは、小にさとくて大にうとく、衆の誉れとすることについては、そのあとさきもよく調べもしないでひたすらそれに従い、一度それに惑わされたが最後、死ぬまでさとりません・・≫

喜びましょう。戦国時代の日本人には、すでにこの付和雷同する傾向があったことを(泣)。もはや国民性というヤツですよ。「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」みたいな態度は、昔からあって、こういう日本人の態度は儒者から見ると信じがたいわけです。

参照:当ブログ 看羊録 その3。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/2013

Wikipedia 姜コウ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%9C%E3%82%B3%E3%82%A6

聖徳太子 。
聖徳太子が「従衆同擧」と、周囲に従うように諭しているのは、『論語』を読んだ上で、周囲に従うのもいいんじゃないかと考えた結果かなと思われます。みんながみんな意見を言いっぱなしだと話もまとまらないし、争いは絶えない。だから、みんなの意見に従おうよという聖徳太子のアレンジですよ。ま、ほとんど侵略されたことのない島国だから簡単に言えるんですが(笑)、しかし、『論語』に反する形の主張を『荘子』の解釈から引き出す聖徳太子はやっぱり凄いと思います。「孔孟」に対する形の「老荘」の書物の新解釈で日本流。

他にも、
聖徳太子 。
『三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。(十七条憲法第三条)』
→三にいわく、詔を受けたなら、必ず謹みなさい。君を則ち天とし、臣を則ち地としなさい。天は地を覆い、四季はつつがなく巡り、全ての気は通を得る。地が天を覆うようでは、則ち秩序の破壊となるだけだ。

この三条とかは、
Zhuangzi
『夫尊卑先後、天地之行也、故聖人取象焉。天尊地卑、神明之位也。春夏先、秋冬後、四時之序也。萬物化作、萌區有状、盛衰之殺、變化之流也。夫天地至神、而有尊卑先後之序、而況人道乎。』(『荘子』天道 第十三)
→尊卑、先後の区別があるのは天地の運行による。聖人はそこからかたちを導いている。天を尊び、地を卑しみ神明の位につく。春と夏が、秋と冬より前に来るのは、四季の巡りだ。万物が生死の境にその姿を変えるきっかけを見せるのは、盛衰の順序の不調、変化の流れだ。天地は神聖でありながら、尊卑先後の順がある。人の道ならばなおのことそれがあらわれる。

・・・『荘子』の天道篇は、珍しく政治について語っております。しかも独立して読むと、秩序だの先後だの尊卑だのとあって、まるで腐儒者が書き込んだのかとも読める、気味のわるい箇所です(笑)。逆に言うと、『荘子』から政治思想を引っ張り出そうとすると、この天道篇とか則陽篇の「輿論(よろん)」についての部分とかしかないので、かえって目立ちます。「四時(四季)」や「気」などの単語は儒家にもその出典はありますが、道家が一番しっくりきます。『十七条憲法』に四季と万物の営みの「調和」が載っていることは、注目すべきだと思います。

もちろん、『荘子』の言わんとすることと、『十七条憲法』にある理念とは異なる点が多いですが、『荘子』の言葉が古くから日本で読まれていた証として挙げておきます。

今日はこの辺で。


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